2025

自由美術

自由美術について

土方明司

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麻生三郎「ひとり」自由美術展第 回展展示作品

小生が学芸員となったのが1984年。採用されたの は練馬区立美術館の準備室である。当時はバブル期 で税収も潤沢、行政も景気が良かった。おまけに少 子化が進み、学校建設の予算が余った。結果、全国 的に美術館建設ラッシュとなった。練馬区は右に倣 えの美術館建設で、館の運営方針も無かった。海図 無き船出。とにかく運営方針を決めなくてはならな い。当時、池袋には西武美術館、東武美術館、古代 オリエント美術館があった。また、少し足を伸ばせ ば上野も近い。泰西名画はそこで見られる。美術館 の特色を出すため、日本の近現代美術に狙いを絞っ た。その頃、日本近現代美術を専門に扱う美術館は ほとんど無かったのである。小生は洋画を担当し た。展覧会は自主企画と、新聞社やテレビ局が制作 したものを買い取る企画に大別される。館としての 独自性を出すため、すべて自主企画とした。こうし て小生の学芸員生活がスタートしたのである。

前置きが長くなったが、以上のことにより、自由 美術との強い接点が出来たといえる。というのも、 靉光展や松本竣介展、山口薫展、浜口陽三展、野見 山暁治展、その他の展覧会を企画し、自由美術に関 する資料調査を重ねたからである。また何よりも、 まだご健在であった作家たちとお会い出来たことが 大きい。麻生三郎、井上長三郎、糸園和三郎、大野 五郎、寺田政明、難波田龍起、村井正誠等々。野見 山さんのアトリエは美術館の近くにあったこともあ り、頻繁に訪ねた。唐津湾糸島のアトリエに行った 際には、一緒に素潜りをしたことなど懐かしい思い 出である。野見山さんに限らず、孫のような年齢の 小生に、皆さん胸襟を開いて何でも話してくださっ た。多くは若き日の思い出話し。自由奔放な雰囲気 は、野見山さんの名エッセイ集「四百字のデッサン」(河出文庫)所収の「自由美術の画家たち」に 活写されている。

周知のごとく自由美術の始まりは、1934年に結成 された新時代洋画展である。中心となったのは長谷 川三郎。東京帝国大学文学部美学美術史卒の理論家 で、日本の抽象絵画の先駆者でもある。他に村井正 誠、山口薫、矢橋六郎、津田正周、大津田正豊らが 名を連ねた。当時の資料を調べると、結成後の36年 には長谷川、村井らの「実験室」と、山口、矢橋ら の「新浪漫派」に分かれ、共に新時代洋画展を開催 している。自由美術はその発端から、新しい具象絵 画を模索する流れと、最先端の抽象絵画を追求する 流れがあったのである。ちなみに、後に詩魂の画家 と呼ばれる山口薫は、この頃ドイツ浪漫派の詩人、 ノヴァーリスの「青い花」に心酔していた。山口ら の「新浪漫派」絵画は、当時「ネオ・ロマンティシ ズム」とも呼ばれた。戦前の洋画界は、官展の主流 であった外交派風の再現描写と、南画とフォーブを 折衷したような日本的フォービスム、さらに琳派な ど日本の伝統絵画を意識した「新日本主義」と呼ば れた表現が多かった。そのなかで、文学的資質を生 かした新浪漫派絵画は、抽象絵画とともに後の自由 美術の特色となったといえる。

戦後、井上長三郎、鶴岡政男ら新人画界の画家た ちが参加することで自由美術の性格は大きく変わっ た。端的に言えば、社会的な視点を意識した作品が 増えた。また、麻生三郎の「人間のいる絵」を代表 するような、実在的ヒューマニズムを意識した作品 も目立った。難波田さんや村井さんたちは、戦前、 戦後の自由美術の変わりようを「庇を貸して母屋を 取られた」と形容していた。モダンアート協会、主 体美術協会のことは紙幅の都合で割愛しよう。

戦後も昭和から平成、令和となり、美術を取り巻 く状況も大きく変わった。近年では、AI画像生成ア プリで作成した作品も横行している。美術の行く末 はだれにも予測できない。しかし、個々の生の実 感、リアリティーを基礎とした作品はこれからも支 持されていくだろう。多様な個性と表現による作品 で知られる自由美術協会である。これからも、「今 を鮮明に生きんとする者たちが、リアリティーとオ リジナリティーを求め続ける集合体である。」こと を期待したい。

川崎市岡本太郎美術館館長

武蔵野美術大学客員教授


平澤重信 2010年 家を運ぶひと

吉見 博

そして、次の制作へ

2024年5月20日~26日 ゆう画廊(東京・銀座)

キーフに住むウクライナ人の知人絵カキはロシアの攻撃以来、ライフワークのように広大な地平を描き続けている。どこまでも拡がる黄金色の麦畑と青い空、血のような暗赤色の日没、ある日は爆裂する空。まるで定点観測のようだ。暗澹さる底のない情報があふれる日本で制作していても、どこかで彼につながらないかと思う。 

設問の「個展について」などは、毎年のことだし陳列してしまえば、気持はすぐに次の制作に向かっている。とは言っても、自作が並ぶ空間は恥しながらも楽しい刺激を受ける場だ。その会話はいつのことだったか曖昧になっても言葉と表情はよく覚えている。「思いだよ、思い。見易く処理するんじゃなくて」中島保彦氏。大野修氏は、僕のテーマについて「1969年自由展初出品以来、人間とその周辺である」と指摘して下さり、自分の中にはさほど大したものはないと思うが手掛りになる。「熱いものを持っているんだなぁ、応援するよ」西良三郎氏。「努力しないで歌うようにテンペラをやってみては?」斎藤國靖氏。水彩系は好きで、墨やグワッシュも手がけていたし氏のヒントを得てすでに自宅書棚にあった「絵画下地の研究」と「テンペラ技法の研究」金沢美術工芸大学研究室編の材料・処法を頼りに混合技法を始めたのだった。これがまた調合等面白いのだ。イタリアへテンペラ画の現物を見に行ったりもした。美しいボッティチェリの線描やハッチングは無理なので織目を生かそうと極荒目のジュートを支持体にしてみた。バングラディッシュ人の知人は、ジュートに描いてますね、これは自国産なのでと巾広サイズのものを大量に取り寄せてくれたり、またクサカベ絵具の社長さんに、自宅環境のせいかテンペラ画にカビが生えて困っている話しなどすると、個展終了後にすぐにアルキド樹脂とアキーラ絵具の詰ったダンボール箱が届いた。感謝。鶏卵の代りにそのエアルジョンで顔料を練ってみたり、新たに混合技法を試している。10月には次の個展だ

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黙 F80
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横顔 M20
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叫び F100

野口 高史

2025年6月10日~15日
アートギャラリー 絵の具箱

私の絵は夜のビルなどが多く 基本的には風景的なものが好きです 絵画は描くのに 時間がかかりますが、その間 いろいろ考え 思考を深めたりするのではと思います。

私は子供の頃 ひいばあさんがいて 戦争でなくした 一人息子の写真が飾られていて記憶に残っています。「おまえは勝さんの生まれかわりだ」と言われながら育ちました。一人息子を亡くした悲しみを世の中から無くす、それが自分が生かされている意味のように思いました。個展では「科学的思考」とタイトルを付けるようにしています 科学万能と言うよりは「柔軟な考え方」という感じです。

絵はブリューゲル フェルメール ボス は何度も見ています 他はウイルスや天文学の本ばかり読んでいます。絵も他も独学が多い人生です。個展に来てくれた友人から「どうせ売れないんだから」という考えはいけないと言われました。絵で生活している友人の言葉に私は「甘かった」と反省しました。あまり描かなかった抽象的な絵が売れ これからはあらゆる描き方をしてみようと思いました。

 

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F100
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松﨑 九鬼

2 0 2 4・4・1 ~4・6
K’s Gallery

自分は何を表現したくて絵を描き続けているのか。ウン十年経って段々腑に落ちてきた。昔は描く事に振り回され、何を描いたら良いのかはっきりせず只筆を動かしてアタフタと転げ回っていたような気がする。
以前は人物も描いていたが、その内、頭が無くなり手足が無くなりトルソになって・・・更にそれも変形して・・又再び形が見えてきて。そうこうしてる内にモヤモヤしているものがリンゴの形を借りて出て来た。
何故リンゴがテーマになったのか。
子供の頃、物が不足している時代、私にとってリンゴはある意味平和の象徴だった。あれからウン十年、私自身は平和を謳歌して生きて来た。しかし回りの環境、国の事情はどうだろうか?。きな臭い。一見平和に見えても問題は山積み。私なりに声を上げ意思表示できる事は何かと、リンゴの形に託して描いている。  数年前、ある絵の仲間の牧野氏が、「松﨑くんの表現は偶感だね」と云われとても腑に落ちたのだ。偶感とは唯の偶然では無い。自分の中でモヤモヤしながらも培ってきた事に、そこにインスピレーションがドッキングして生まれる世界。偶然と必然、面と線のせめぎあい。自分の中にどう引き込むか。
それを求めてウン十年経ち、やっと自分の思いに近づけたかな?。そう思えるのは自分自身が気持ち良く「ウン・イイネ」とスーとその絵に入り込めた時。いわゆる自己満足の世界。表現するってそんなもんじゃないのかな。木枠を外した理由。ある時点(浜松から東京へ移転)で生き方の整理をした時から。絵のサイズ(自分で気持ち良く描ける)は。部屋が狭くなった事も含めてその後の保管も。
今まで考えた事も無かった大問題であった。その結果、木枠に張らない事を選択した。但しやはり展示する方法はしっかり工夫しなくてはと思っている。自分の歩巾で淡々と。

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F100・変形
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S 6 号
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2025 80号

越川 道江

「描くことから生まれるもの」

 

昨年3月アトリエ整理の際、2014年にイタリア・フランス旅行中スケッチした全長10mの土佐和紙が出てきました。いつか展示したいと思っていたものでした。
そこで、壁の幅が10mのギャラリーを東広島市の西条駅近くにある東広島芸術文化ホールに見つけ、12月に借りることにしました。

決めたのはいいけど、思いの他大きな会場を一人でどう埋めようかと色々悩んだ末、ギャラリーを家のアトリエに見立て、右壁に帯状にスケッチを、中央正面には家のベランダからの眺めの油絵 100号位を数枚、左壁にはアトリエに掛けてある絵や普段描いている絵を、と我が家に来て観て頂だいている想定で配置を考えました。
ベランダからの眺めを描くと決めた時、写実的に描こうとは思ってはいなく、目の前に在る風景の中に興味ある形を見つけ出し、それを手掛かりに描いてゆこう!出来そうな気がしていました。

最近の私の絵は具体的なモチーフを持たず、心に浮ぶまま色を置き、描いては「そうではない!」と私の中の何処かに潜んでいるこだわりで消し、その繰りかえしで着地点を見つけられない辛い時間が長く、その打開案としたかったのです。

庭に出て何度もスケッチをし、エスキースを作るのですが、どうしても実景に囚われ、そこから離れるのは今も難しい。それでも見ながら手を動かしていると、樹々や空、それを取り巻く空気などが相互に作用して、そこに新たな形や色が感じ取れてくるのを、また、目の前に在るモノと私の関係で生まれる考えは限りなく広がるのを感じ、これから描いてゆく私に必要なことがそこにいっぱいある事に気が付くのでした

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西村 幸生

「つれずれに」

2024年6月3日~6月8日
ギャルリー 志門

この頃良く感じることは、自分の感覚と、周りの動きのずれのようなものが気になることだ、大きくは、戦争は嫌だ。核兵器や原発は要らない。ずうっと思って来たが、世界は逆の方向に向かっているようだ。

自由美術に参加して 45 年が過ぎた。何回目かの個展の折、師と仰ぐSさんに、この「絵」はだめだ、こちらの方向で行かないと!指導を受けた。数年後の個展では、Y さんに、「あなたは、カラアリストですね」うれしい言葉をいただいた。近くに住んでいたHさんは、「へ~旧作も一筆入れると新作ですよ」いろいろ教えられたものだ、つねられもしたが、他にも先輩作家の思い出は多い。

自由美術には、あこがれる作家が綺羅星のごとく輝いて居て、そんな展覧会に自分も「絵」を出せることがうれしくて仕方なかった。しかし、そんな幸せな時はいつの間にか終わりを告げていた。

私は、ベーリンジアシリーズで 2 万年前の地球の人類の拡がりを「絵」にしようと 10 年くらい描いた。ここ 4~5 年は方舟シリーズで、温暖化・マイクロプラスチックなどで、未来の人類はどうなるのか、「方舟」で世紀末を描こうとしているが、どうも中途半端なものになっているようだ。後15 年は何とか絵を描いて、生きて居たいと思っているが、少しは、ましなものが描けるか、何とかしたいものだ。

京都の知人から送ってもらった、K さんのデッサン集を毎日眺めている。危うい世界の中で、ふらふらと真摯に描かれ・行動されたことが良く分かる素敵な画集です。笑顔の写真を見て、私もと…  何を考えたのでしょうか?


F100 ベーリンジア

F100 方舟の作り方

濱野 春美

個展を終えて想う

2024年9月18日~9月29日
ちばきんひまわりギャラリー

20代なかばより、絵を描き始め、描き続けて、はや40数年が経ちます。自由美術展に出品したのは、2014年からです。絵を描く上で心がけていることは、色と光を大切にすること。自分独自の色を作り出すこと。心の内面の光を描くこと。光は制作する上での原点です。

昨年(2024)9月に、日本橋のちばぎんひまわりギャラリーで、個展を開きました。ギャラリーからお話をいただいたのが、前年の11月でした。9月と言えば自由美術展の準備で1番忙しい時期で、迷いましたが、この機会を逃すといつできるかわからないと思い、お引き受けすることにしました。天井高3.2メートル、壁面37.7メートルで、広い空間でしたので、大作中心に構成しました。主にここ 6~7年の間に制作した作品です。100号6枚、80号2枚、50号5枚、10号9枚で展示しました。テーマは、“廻る”で、自然や人間の生きるエネルギー、生命の循環を表現しました。今まで自分1人だけの作品でこのような空間を埋めるのは、初めての経験でした。会期の2週間、作品とじっくり対峙することができ、至福の時を過ごしました。今、振り返ってみると、未熟なところ、曖昧なところ、気になるところがいろいろ見えてきました。これから葛藤が続きます。また、新たな一歩を踏み出したいと思います。

私を絵の世界に導いてくれた人、ずっと私の作品を見続けてくれた人、いろいろ助けてくれた仲間たち、忙しい自由美術展の準備の中、駆けつけてくださった皆様に、感謝申し上げます。

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松田 真治

響き合いを思いながら

2024・9・10~9・15
石川国際交流サロン

制作の際、大切にしていることは「響き合い」の感覚です。 彫刻が空間や音とどう共鳴するかを意識しています。作品の多くは女性像ですが、その奥には幼い頃から親しんできたクラシック音楽の影響があります。イタリア音楽の情熱、フランス音楽の酒脱優美、ロシア音楽のほの暗い情熱等、そうした音楽に心を動かされた経験が自然と私を西欧の芸術へと導いてくれました。クラシック音楽が取り上げる神話や宗教、自然、人間心理、そして若い頃に訪れたイタリア、ギリシャ、スペイン、フランス等で体感した風土、それらが今の創作の根底にあるように思います。

また、自由美術に出品を始めた頃、池田宗弘氏に出会い麻績のアトリエを訪れいろいろお話いただいたことは彫刻を捉える上で重要な視点を与えていただいたものと思っています。当時私は感覚のみを頼り制作していましたが、構成やテーマの捉え方を理路整然と教えていただき新たな視点が育まれました。目から鱗が落ちる感覚でした。このことは今もなお私の創作の軸となっています。

近年は彫刻と音楽が同じ空間で互いに響き合うような表現を模索しています。時には自らピアノを演奏し、彫刻と音楽が一体となる展示を試みています。 個展を行う際も「響き合い」は大きなテーマです。昨年、金沢の伝統的な日本家屋で展示しました。当初、私の作品は和の空間と調和しないのではないか危惧していましたが、不思議と共鳴し新たな響き合いの空間を見出石川国際交流サロン客間での展示しました。一方、フルーティストとの共演で行った音楽ホールでの展示では、空間に満ちる音楽と彫刻が対話するような場を創り出すことができたように思います。展示する空間ごとに異なる共鳴を見出すことが個展を行う醍醐味でもあります。

彫刻は形そのものだけではなく周りの空間や音、時間とどのように響き合うかを含めてようやく命が吹き込まれるものだと思います。今後も様々な響き合いを模索し続けながら制作と発表を重ねていこうと考えています。

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石川国際交流サロンでの展示
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石川国際交流サロン客間での展示
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竹田楽器ホールT88にて

山本 清人

2025・2・26~3・10

ボンファン

私は球体を散りばめた特徴的な油彩の作品を多く制作していました。作品の中に現れる球体は命の種(たね)を意味しています。 種(たね)は物事の始まりで『これから』の未来と希望に満ちた思いで描き続けていました。命の種(たね)がいろいろなところに飛散し、根をはやし、芽が出、花が咲いてくれたらと、それが未来に繋がると漠然と考え描いていました。以前、雑誌にも記載していただいたのですが災害から受けた命に対する死生観。死を目の前にする命の境界線を目の当たりにしました。

私の中の何かが大きく変わり、変化が生まれました。変化後は試行錯誤でした。近作での命の芽生えを強く表現すること。具体的で可視化した象徴的な何かを描くことを考え、観たままを描くのではなく、観て感じ、感じたままを描くことにより人の心により強く残る命の形と考えるようになりました。まだまだ納得がいくまでは到達していませんが、今は花を象徴的な何かと捉え作品に描いています。

そして、以前(かなり昔から)より画面中の奥行への違和感に疑問をいだいていたモヤモヤしたものがあり、タイルやコンクリートと言ったような壁面を用いて面を意識した表現を試みたいと強く感じるようになりました。私にとっての境界線は、表現の追求と同じように今もなお継続しながら、より強く意識でき、作品を見た人にも印象に残るような、私なりの世界観で死生観の境界を表現できたらと、面にこだわりながら日々格闘しています。

最近は個展も愛知、東京と交互に開催しています。直近から25 年3 月に愛知県豊橋市で個展/24 年7月に東京日本橋で個展/24年3月に愛知県新城市で個展と、タイトルは東京の個展から境界のはざまと私の変化後を意識した作品制作での発表が続いています。

個展以外も企画展に参加するなど、 機会を与えていただくことがあり、 スケジュールもタイトになる時期も ありますが、手は休めず、表現の追 求は変わらず継続していけたらと考 えております

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境界のはざま 2024年 S6号 油彩・オイルパステル
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加木屋 満

個展を開催しての思い

2024・8・14~8・18
加児市文化創造センターala

自由美術協会展に出品してきた100号の作品を中心に、過去20年間で制作した作品の中から43点を展示しました。展示会場の可児市文化創造センター(ala)の美術ロフトは、展示空間も広くゆったりと展示ができ、観ていただくには良い環境であったかと思います。
長年、自由美術協会展やグループ展を中心に作品発表を続けてきましたが、私にとっては念願の初個展でありました。20年間の制作の軌跡をどのように展示するかを考えるのは、今までの自分の作品と改めて向き合うことにもなりました。その時その時の作品対する思い入れや試行錯誤が懐かしく感じられ、それが今に結びついてきていることを実感しました。
年代にそってテーマ別に展示してみると、一つ一つの作品がつながって大きな画面をつくり上げていることに気づかされ、思いがけない展示効果が生み出されていく、これが個展の面白さであり魅力なのかと。
私は、サンドペーパーを下地にして、その上からコンテとオイルパステルで描いて作品づくりをしています。ザラッとした地肌が、自分が求めるマチエールをつくり出してくれて、イメージの広がりにもつながります。今回、自分のスタイルの作品を一同に観ていただき、感想を頂戴したことが何よりもの喜びであり励みにもなりました。
こうして個展を開催したことで、懐かしい恩師や友人に再会できたり、新たな出会いと広がりが生まれたりしたことも宝となりました。また、お時間をさいて足を運んでくださった方々にも深く感謝いたします。

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中田 京子

心の音 ~私のソウルピース~

2024・12・17~12・22
各務原中央図書館 3F展示室A・B

私は生きていく中で、心に深く響いたもの感じたことを、色、線、形などを使い絵に表現してきました。 目に見えないものを表現するために、今も苦心しながら絵を描いています。

この間久しぶりに初期の絵を見て驚きました。あの頃。自分の中からほとばし出るものだけを夢中で描いていた。その絵、が今見ると強いのです。

私は果たして進化しているのだろうかと自問し、考えました。

大切なことは、今現在自分の絵を描き続けることだと思います。

個展をする事は、自分の描いた絵を人に見てもらうためです。

もう一つは、会場で並べた絵を自分が、客観的に見られるということだと思います。

絵を見ながら話し合うひとときは楽しいものです。

今まで主に名古屋市で個展を開催してきました。十二回目の今回は、初めて地元各務原市で開催し、四十点展示しました。(A・B室)

連日多数の人に家を見てもらい、勇気をいただきました。

      お世話になった
        同級生、知人、友人に
             感謝いたします。

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生への意志  1620×1120
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母に捧げる連作17点「春の雫」
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國定 正彦

「どのような思いで作品の制作をしているか」

私が作品制作をする際に思っていることは主に下記の様な事だと思います。・18 歳の時に夢で見た、白い大蛇と約束をした時のことを思い出しながら描いている。・後世に残る良い絵が描けるように祈りながら描いている。・その時その時の心願を思いながら描いている。・今までの経験値などから作られた、 固定概念を極力振り払うようにして描いている。・私を「炎の画家」と命名してくれた、師ミズ・テツオ先生と交わした約束を思い出しながら描いている。それと、子供の時に祖父母から聞いた不思議な話を時々思い出しながら描いています。今回はその事を記述します。それは、私が小学生の低学年の時、とても良く晴れた日に縁側で祖母と二人で外をぼんやり外を眺めているときに、不意ににわか雨が降ってきました、その時に祖母から聞いた話です。私のおばあちゃんがお嫁に来たばかりのある晴れた日に、急に雨が降ってきたそうです。 すると家の前のあぜ道に、お祭りでもないのに提灯の明かりがつき、そこを白装束人たちが東の山の方に歩いて行く狐の嫁入りを見た、と私に話してくれたことを時々思い出します。それと、おじいちゃんも若い時に狐火を見たと言っていました。それは、山の近くの畑で草刈りをしていた時に、山から2つの大きな火の玉が一つになったり離れたりしながら転がる様に落ちてきたそうです。驚いた祖父が恐る恐る近づくとその炎の中には狐がいて狐火であるとわかったそうです。それはどのような状況だったのか想像したりします。その時の炎はどんな有り様でどんな光を放っていたのか、白かったのか赤かったのか、はたまた青かったのか、今では知る術もありませんが、炎を描く画家としては大変に気になるところです。しかし、残念ながら同じ血を受け継いでいる私にはそういう能力がないようで、一度も見たことがありません。私見ですが、今の私たちには無くなってしまった、見えない者を見たり感じたりする能力が、おそらく昔の人にはあったのではないかと思います。もしかすると、私の血縁者が通常では見ることの出来ない不思議な体験した事と、私が森羅万象に精霊が宿る、アニミズムを信じ、それを描いている事と何か関係性があるのかもしれません。いつか自分も祖母が見た狐の嫁入りを見られるのではないかと、作品制作の途中にわか雨が降ると、二階の画室から、今ではアスファルトで舗装されたその道に、狐の嫁入りを探しています。

英霊の祈り
「青い眼の精霊」

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英霊の祈り
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「青い眼の精霊」

霊山 邦夫

『今』を描きたい、感じている世界を、それをリアルに表現できるように、それをなんとか人に伝えられ るようにと。 未だそれができないぼくは、未熟に他ならないのです。 だから続けているのです。  2025.6月

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峯孝展を見て

2025・4・7(月)-2025・4・24(木)日本画廊

池田宗弘

2025年4月19日(土)、日本画廊で開催中の【生誕112 年峯孝展】に足を運ぶ。展示作品は彫刻(ブロンズ)とロマネスクの作品等のドゥローイング。久しぶりに先生の作品を目の当りにし、私には半世紀の時の流れを忘れさせる貴重な懐かしい情景を蘇らせる時と場になった。感謝の思いと共に今も心中に生き続けている先生のあれこれを限られた紙数の中に書かせて戴きます。彫刻家の道を歩くことを決心して六十数年、私にとって現在も初心の頃と同様、制作意欲と作品のアイディアが日々無くならないのは、巡り会い教えを受けた二人のタカシ先生のおかげと思っている。一人は清水多嘉示先生の建築的構成論と形の見方及び立体造形の追求の基本中の基本。もう一人は峯孝先生で粘土の勉強の時の飽くなき追求と工夫の態度そして、先生の姿は人類と芸術作品への謙虚な言動で真摯な芸術家の高い品性を備えていた。彫刻界の多くの先輩や先生方は今や旅立ち自分が先生と敬称をつけて呼べる最後の彫刻作家は峯孝師だけとなってしまった。24歳、制作方向が見えた1963 年自由美術の出品作と共に初めて旧都美館の搬入口に到着、顔見知りの何人かの先輩の他に初対面の会員諸氏が受付作業をやっていた。玄関の左奥に作品を置く様に言われ自分で運ぶ。部屋の片隅に遠慮勝ちに【立つ人】を置いた時その人は現れた。さっき受付で偉そうに見えた人達もお供みたいにゾロゾロと後に続いてはいってきた。先に置かれた搬入作品から順番に見て歩き、最後に自分の前に立止まり先輩の中嶋一雄さんが作者の紹介をしてくれた。小柄で髪の毛の多いがっちりした体格のその人は穏やかな顔のお爺さんに見えた。中嶋さんの紹介で『清水先生に何を教えられた?』と言われ。『垂直水平奥行きについて…柱と梁の例で粘土いじりの勉強でした』と緊張して返答。その人は初めて今回の案内状の様な顔になり一言『んーそうか、止めずにがんばりな…』と、部屋の外に去って行く、取り巻いて見ていた皆も遅れまいと後を追う。成りゆきを見ていた中嶋先輩にあの人が『峯先生だ』と教えられた。外は朝からの10月の冷たい雨が止む気配も無く降っていたが心の中で(止まぬ雨は無い陽は又昇る)と唱えつつ、この夏出来たばかりの秋津のアトリエへの道を急ぐ。自由美術初出品の【立つ人】は今でも身近に置いている。


「あけぼの像」宗谷岬の酪農開拓発展の記念碑

1969年、峯先生は日本の最北端宗谷岬の酪農の開拓発展の記念碑の構想を多くの模型で制作準備開始。1913年生れの師は当時作家人生の気力体力も充実、良い創作の出来る年齢であった。私は1966年会員に推薦され制作と武道の稽古以外はカナカナ蝉(そのヒグラシ)だ。しかし有り難いことに中嶋さんから私と草野さんに峯先生のアトリエの手伝いはどうかと連絡を戴いた。午後アトリエで最初にやることは午前中にいっぱになった先生の煙草の灰皿の掃除だった。朝からの制作と思考の間に口にした煙草は高額納税(タバコ税)の証拠だ。当時の自由美術の懇親会では禁煙席の表記をテーブルに立てても喫煙しない会員は限られた小数の人だけの時代だった。ある時知ったことは、峯先生は清水先生の帰国後の1933年京都の木版画作家の知人徳力富吉郎(1902~2000)氏の紹介で清水先生の最初の門下生になった彫刻家。だから我々にとっては同門の大先輩であったのだ。峯先生の作品は、その幾何学的構成や人体の点線面量の活用で己の求める美しい立体の形を探究をしている。その結果が粘土の表面に線や面、凹凸が残るのであり全てより良い答えを求め推敲を重ねる原稿と同様、勉強の痕跡なのだ。粘土の表面を見せる為にそれらしく装う作品ではないので常に現代進行形で明日に繋がる若々しく純粋の美しさ見せている。日々勉強を続ける永遠の画学生の様だ。清水先生の制作時の箆遣いと粘土の移動と同じように見受けられた。ブルデル先生の作品を学びその不変の造形論と心を初心者の我々に伝えた清水先生のもとに誰よりも早く入門し、以後戦中戦後の時代も制作と工夫を続けてきた峯先生の作品の中に具象彫刻の新たな課題が見えて来る。歴史の流れの中で前の時代に学びつつも以前には無かった表現を模索し主題と技法を見つけ、新たに創作の世界に生きて行く。その考えは多くの努力と時間によって本物になる。峯先生は三次元芸術の具象彫刻であまり意識されてこなかった四次元の表現をすべくモデルの形を参考に工夫と勉強をされて来られた。作品の人物が単なる固定ポーズではなくある運動体の連続した時間の中の動きとしてその前後の形も加えて一体の作品にまとめるのだ。先生の作品が映像のストップモーション的の具象彫刻とは異なる微妙な動きを感じさせているのは彫刻に時間の工夫を加味してきた故だと言える。我々は自由美術の会場で師の作品と語られた言葉に接してきたがこの件に気がついた同席者は皆無、仲間で話題にもならなかった。思うに峯先生は孤独感を覚えて居られたのではないだろうか。その先生が記念碑作品の制作に入られた。当然作品の中に時間の流れを感じさせる仕事になるだろう。更に設置する場所に相応しい形態と大きさの決定、大空間の自然環境と使用する素材の強度と重量と構造など出来上がった作品では見えない多くの工夫と試作を実行されていた。(この間の体験は以後数十年の私の野外作品制作と設置にとって最高の勉強となった)。機は熟し実寸の制作に入る。彫塑用の骨組みは木工技術を身に付けて居た学生時代からの年上の同級生で自由美術会員の草野真津視氏と当時木彫作品を発表していた先輩の中嶋一雄氏が担当。自分は記念碑の台座に填め込むレリーフの粘土付けをする。当然先生の仕事の探究は厳しく、その都度微妙に粘土の骨組みを変更する、その指示に従い草野さんと中嶋さんは何回も足場に上り下りする(以下略)粘土原形後、石膏原形にも手を加え。その後はブロンズとなって計画通り現場に設置され作業は終了。北の海を背景に設置した作品の厳しい自然環境に備え、再度漆液を補強用に塗布作業をして1971年7月17日の除幕式を迎えた。吹き抜ける風を感じさせる樹木と二人の若者は困難の風にも打ち勝つ未来への希望の象徴。その形の組み合わせはさすがにこの地の景色に合致。多くの事を教えられた。


「鶴さん」(1970年)77.0×42.0×27.0cmブロンズ

ロラン美術館蔵((エバの像と悪魔の手))

*その後も先生は何時ものように制作の日々を過ごされ、貧しかった私に北海道の酪農関係のおみやげだと『君の彼女は編み物をやるから…』と毛糸を下さった。以前家内が我々の粗品として手編みの帽子を御贈りしたのを覚えて居られたらしい。毛糸の御見立ては先生の奥さまで上品な色合いの確りした素材で以来今でも大切な思い出と共にこの毛糸の上着は大事に使い続けて居る。

*1970 年多忙の頃だった初夏から別の作品の粘土が回転台の上に立ち上がっていた。曙像の人物を部分的に工夫しているのかと思う私達に『鶴さんをモデルにした作品だ』と乾燥除けの布を退けた。そして『午後に彼は来てくれることになっている…』『君たちは何時もの様に仕事をしていたら良い…』と作りかけの作品に向かう。鶴さんとは自由美術の歴史のみならず日本の昭和の絵画史では居なくてはならぬ鶴岡政男(1907~1979)先生のことで、自由美術の作家の中でもその独特の空気の姿は若い作家には畏敬の念をもって見られる存在だった。特に長身痩躯の顔は以前木内さんが友人として(谷中のガマ)と表現していたが眼光は特別の強さで太い眉と大きな口に不撓不屈の作家人生の痕跡が刻まれているようだ。峯先生もその生き方は異なっていても作家の辛い時代を共にして権力に阿る事の無い活動にお互いに認め合う自由を持っていた。アトリエの扉は声と共に開きガラスの牛乳びんを持ってやってきた。秋ブロンズの【鶴さん】は自由美術展に出品。アトリエから去る前に我々に曰く『とにかく若いうちはものを見てデッサンしな、どう描いても自由なんだから…』遺作展では二人の作家も友人も居ないが【鶴さん】は居た。

*聖山のエルミタの生活では居間の一番近くに峯先生が『わしはもうこれを使って絵を描くことも無いから…』と頂戴した木製の大きなイーゼルが置かれてある、一番良い場所で今も油絵を支えてくれている。油絵の他にスペインロマネスクの彫刻を描いた和紙の資料の額装品を見る時もこれを使う。私が教会のロマネスク彫刻の勉強をするきっかけは、峯先生からフランスロマネスクの現地の話と資料とを見せられたことに拠る。前例の無い具象彫刻の表現と作品の精神性の確立を目標に制作していたがその歴史的前例の指針となると思っている事の多くがそこにあったのだ。スペインは日本ではあまり注目されずフランスほど研究されてはいなかった。それに気づかされた先生の写真資料でお気に入りの作品にはエバをそそのかす悪魔の手の一部が彫刻されている。悪魔の存在する作品では左のアダムの彫刻は行方不明だ。


「小さな獲物」(1967年) 101.0×100.0×31.0cm

「戦禍の老婆」(1967年) 54.0×30.0×37.0cm

*私が通っていた先生のアトリエに珍しいテニスボールくらいの球状の時計があった。峯先生も気に入っていてお茶を飲むテーブルの上の真中に置いていた。お茶のみ話で近くの年取った時計屋さんから買われたとのこと。『彼は動かなくなった古時計を修理して復活させる名人らしくかつては石黒敬七のコレクションも依頼されたり時計に関する本も出版した』とのこと。自分も秋津のアトリエ用に時をうつ古い時計が欲しい』と言うと、早速近くだからと帰る前に連れて行く。間口の小さな昔ながらの店の納(珍しい姓)さんは峯先生とは親しく早速なおったばかりの時計を私に勧めた。イメージがピッタリで気に入った柱時計はアメリカ製で120年前の製品。7日に一度ゼンマイを巻く、これはそれから50数年経った今もエルミタで時を告げる。昨年のエルミタの記録ビデオで仕事場の画像の中で時計が偶然4時を告げた。若いバイト暮らしの思い出の時計は決して大きな古時計ではないがエルミタの私には歌手の平井堅氏の歌の心が伝わり人の命より長生きの時計に感動している。


「ガンバレ老犬」(1996年) 38.5×48.0×24.0cm

峯先生は移り行く時の流れを作品に表現して形だけでなく表題も関係あるものが多くなる。或る時『桜の満開もきれいだがワシはその後の少し散り始めた頃が良い…』と言う。先生の葬儀はそんな時期に近くの禅寺で行なわれた。(合掌)

以上文責:彫刻家MA池田宗弘

ミズテツオ   1944-2025

醍醐 イサム

mizu
1987年  a woman(女)

書き留めることは何も無いのかもしれない。絵を描き、生き、そして息が止まった。絵は、彼に全てを与え、 全てを彼から奪い去っていった。それも承知の事であった。描き続けゆく彼に宿りゆく生命体。取り憑かれたが 如く、自らが生み出したが如く、更に突き進み、更に倒れゆく他はないのだ。ミズテツオが書き残した無数の言
葉は文字姿を残しながらも、けして彼自らへは辿り着けぬのだ。絵は全てを発し、全てを受け止め続く。

世の中的には、既に何処か壊れていたのだ。壊れながら飛び続ける飛行体は、手離してはならぬものを追い求 め続く他は無かったのだ。「俺、本当は普通の人間なんだよ。普通の人間ではなくなるためには、どうしたら良いか。

俺、本当は普通なんだよ。どうしたら普通でなくなるか」。いや、普通で良いと思うよ、あなたの普通は既に普通じゃないんだから…。「フフフ、そうか。そうかもな」。

初めての出会いは、横浜、神奈川県民ホールギャラリー、階上、喫茶店、1977 年。互いにこの先、二度と会 うまいと思う出会いと別れであった。触れれば即座に崩壊してしまうような脆い鋼とカミソリを、二人無数に纏 い合い、硬質感が剥き出しであったのだろう。それから何故か、出会い続けてしまうこととなった。彼の生き来 し方、立居振る舞い、ミズテツオ自らと画面に降り頻る、無数の恋、喧噪、世俗欲、失恋、何事も律しきれないながら、絵は、それら全てを抱え、内包し、更に広がり続け、彼は、絵に対してのみ全てを律し、生きる全てを込め続けた。

1976年  青年
1976年  青年

何度となく発し続けた言葉「哀しみ」。選ばれし者ゆえではなく、求め続けるがゆえに生じ続く哀しみ。絵に
魅入られ、絵に魅入り、この世の全ての人間と同じく、求め続け倒れ続け生き続けたのだ。「俺、ゴッホ、嫌なんだ、怖いんだよ」モジリアーニら、夭折の天才画家に憧れ、彼らの没年齢前になる度に、「俺、もうダメかもしれない」と云い出し、「でも俺、夭折は60 歳になっても夭折なんだ」と更に求め行く。ゴッホへの恐怖は、互いの、あまりの類似さに、近似と憧れと恐怖が増幅したゆえに他ならぬ。

水島哲雄時代、初めての新宿・椿近代画廊個展。モジリアーニ、松本峻介を思い起こさせる少年、少女、女、 青年の絵と、水彩画の抽象作品が並べられていた。「あなた、どう思う?」。珍しくまともに訊ねて来た。この抽 象作品、素晴らしいと思う。「うん、でも俺、しばらく、こっち、人物とか青年でやっていこうと思う」。「いろ んな画商がいるけど、絵描きなんてインスタントラーメン食ってりゃいいんだってのもいるけど、俺、絶対やだ。 いつか必ずひっくり返してやる」。年月が過ぎ、画商シュナイダーに出会い、日本とヨーロッパを往復する日々 が続く。彼は、昔から、自分の絵に惚れていない画商を嫌った。折り合いを付けて付き合い続けても圧倒的に 嫌い続けた。

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1995年  人・平和・光
 ヨーロッパでミズテツオの絵を認めたシュナイダーは、彼の絵を、こう評したという。「シュナイダーが云うんだ。フラッグシリーズの絵は今まで見たことのない絵だって。西洋の堅牢な画面と日本の色彩色感が一緒になった絵は初めて出会ったって。でも、他の少年とか少女とかは、モジリアーニとかのコピーだからダメだっ」。「俺、シュナイダーと一緒にやろうと思った…」。画歴にある展覧会タイトル、「ピカソ、シャガール、ダリ、メロア、ミズ展」、1988 年から2008 年にかけてヨーロッパの美術館で開かれた大展覧会、ギャラリー個展。「…ダイゴ、来いよ。ヨーロッパに遊びに行くのもいいぜ。ヒコーキ代もホテル代も俺、全部出すから来いよ」。行かない、地続きじゃないと。「普通は来るんだけどな。俺が、これだけ誘ったら。ダイゴ変わってるからな」。いいや、フツウだよ。「そうだよな。ダイゴはそうだよな」。「俺たち、何で絵を描いてるのかな」。それから二人、ひとしきり黙って静かに酒を呑み続けた。
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1976年  風景(landscape)

2025 年1 月17~25 日、新生堂。生前、最後の展覧会にして、回顧展。初期作品から最期直前まで、生きる事の限りを込め続け、不自由と自由を超えてなお、己たらんとする画面が立ち並ぶ会場。かつての、練磨の限りを尽くしたのちの自在さに溢れる作品たち。繊細な感覚、堅牢な絵肌、画面構成、構築、練磨の後の自由と自在さ。それらと、パーキンソン病のちの、自在と不自由さを超えて立ち現れるミズテツオの絵とが、互いに相交わし合い、生きることの証を個展空間に放ち続けていた。「俺、石膏とか写真とか描けない。でも、絵って、そういうもんじゃないと思う」。「俺、俺の描けるもので描くんだ」。遙か昔も、この時の今も、ミズテツオは自らを通し続けていた。 見るべきものを見、見なくてよいものを見ず、己の見るべきものを圧倒的に見続ける。彼は、生きている限り、それを為し続けた絵描きであった。生前、出会った人々、これから彼に出会い行く人たちに、その事が遙かに伝わり続くことを願って止まない。 1 月17 日、最後の会話。そして、図録に記した最後の文字。あらゆる人へ宛てた最後の文字。「だいごへ、元気で、絵、生きるがごとくに」 

2025.7. D 記

tamayama
1980年  二人
tamayama
2024年 TKG
tamayama
1987年  無題(untitled)
tamayama
2024年  OKM
tamayama
2014年  PP

自由美術会員の個展、グループ展、各地域の自由美術主催展

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2024        
8/6 8/11 第50回自由美術香川 善通寺市美術館(展示室1・2)
8/14 8/18 加木屋満展 可児市文化創造センターala
8/19 8/31 遊墨展 阿部真由美 ギャラリー K
8/21 8/31 空夜-Cooya - 山田かの子 ARTONE
8/24 8/28 第59回自由美術群馬展 ノイエス朝日
9/1 9/7 坐・琳派展 醍醐イサム 鶴見画廊
9/2 9/7 ミズ テツオ 展 ギャラリーゴトウ
9/3 9/8 第54回大分自由美術展 大分県立美術館3階展示室B
9/9 9/14 第20回満月展 阿部眞由美 岡本叔子 相良由紀 千駄木画廊
9/10 9/28 Two-Side展 阿部真由美 DOMOANES
9/10 9/15 松田真治彫刻展 石川国際交流サロン
9/14 9/29 第72回朝霞市県展作品展 醍醐イサム 朝霞市博物館
9/16 9/22 五十歩百歩③ 阿部真由美 あかね画廊
9/17 9/28 多面体 醍醐イサム 始弘画廊
9/18 9/29 濵野春美展 ちばぎんひまわりギャラリー
9/22 9/27 版画の海 ギャラリーストークス
9/29 10/4 絵画の森 ギャラリーストークス
10/5 10/11 はじまりの庭 平澤重信 佐々木厚子 谷内徹 ギャラリーストークス
10/7 10/13 ヒトトモノタチ ゆう画廊
10/7 10/12 京橋現代美術展2024 醍醐イサム  ギャラリー檜B・C
10/7 10/12 アンティーブへの想い 山田かの子 ギャラリーアルトン
10/19 3/30 泉崎村カントリーヴィレッジ 国際彫刻展 小野田志津代 泉崎村カントリーヴィレッジ
10/21 10/27 KOKORO JAPAN AU MUSEE ESPACE MATRA 長尾周二 楠本惠子 佐藤ひろみ 寺床まり子 若生ひとみ ロモランタン=ラントネー マトラ 自動車博物館 フランス
10/22 10/30 まほろば 佐久に咲く素描展 2024 平澤重信 醍醐イサム ギャラリー絵夢
10/26 11/2 平澤重信展 ギャラリーきっさこ
10/27 12/22 ちいさくてもいいじゃないか みんなのミニチュア作品展 那須ゆいか 市立岡谷美術考古館
11/4 11/9 小野精三展 ギャラリーソレイユ
11/4 11/10 柳田祐希個展 あかね画廊
11/4 11/9 「一番組」展 阿部眞由美 有田敬子 相良由紀 千駄木画廊
11/4 11/9 <風土>に生きる・Ⅺ 岩瀬晶子 ギャルリー志門
11/5 11/10 第88回 自由美術(京都展) 京郡市美術館別館 1F・2F
11/9 11/17 菊池まり子展 UTSU工房ノブズギャラリー
11/11 11/16 色が・色と・色を語る展 阿部眞由美 ギャラリーGK
11/19 11/24 第32回朝霞市美術協会展 醍醐イサム 朝霞市中央公民館ギャラリー
11/21 11/30 2022ヴェルジェ展 寺床まり子 ギャルリーヴェルジェ
11/23 11/29 第37回多摩5美術展 尾﨑武 西村幸生 野口高史 古田由美子 南町スポーツ・文化交流センター 「きらっと」2階 多目的ホール
11/26 12/13 Winter Festa 2024 阿部眞由美 DOMOANES
11/27 12/6 山田かの子個展 AKIRA-ISAO
11/28 12/4 平口幸子/大石佳子2人展 しずぎんギャラリー
12/2 12/8 No.32アール・デサンプル展 千駄木画廊
12/2 12/14 醍醐イサム個展 K's Gallery
12/4 12/9 3人展(山本清人/たなかみか/◯hiromi) 山本清人 一口坂ギャラリィ
12/4 12/15 四人の作家達展 寺床まり子 ART SPACE SOW
12/4 12/9 越川道江アトリエ展 東広島芸術文化ホールくらら 市民ギャラリー
12/16 12/26 2024年ギリギリ展 寺床まり子 永畑隆男 K's Gallery
12/16 12/22 21世紀美術交流展 阿部眞由美 有田敬子 一ノ澤文夫 入江孝子 岡本叔子 相良由紀 中野渡みね子 姫井美貴子 本間公任子 千駄木画廊
12/17 12/22 中田京子展 各務原市中央図書館展示室A・B
12/18 12/22 29それぞれの現在展 山本清人 愛知県美術館ギャラリー 愛知芸術文化センター
12/22 1/11 Winter Festa 平澤重信 ギャラリー枝香庵
2025        
1/6 1/18   ギャラリーK
1/7 1/13 第88回 自由美術(名古屋) 愛知県芸術文化センター8F 愛知県美術館ギャラリー(展示室A·B·C)
1/9 1/18 山口長男☆野見山暁治と実専展 小野清三 ギャラリー ムサシ
1/13 1/18 新春ガラス絵展 平澤重信 ぎゃらりいサムホール
1/16 1/20 2025艸展 那須ゆいか 岡谷美術考古館
1/17 1/27 素粒子展Ⅳ 相良由紀 ポルトリブレ
1/20 1/26 2025彫刻13人展 銀座アートホール
1/28 2/9 Symphony 吉川千里 中和ギャラリー
2/1 2/15 画廊散策の愉しみ ⅠⅡ 平澤重信 ギャラリー枝香庵
2/13 2/23 現代抽象作家展 寺床まり子 霊山邦夫 中野渡みね子 村秋木綿 ギャラリー絵夢
2/16 4/6 第6回宇都宮美術の現在展 青木俊子 宇都宮美術館
2/22 3/2 思索の現場2025 平澤重信 gallery Cajio
2/23 3/1 柳田祐希個展 Gallery Zaroff
2/25 3/8 満天の星展ⅩⅣ 平澤重信 あらかわ画廊
2/26 3/3 第8回サイ·トゥオンブリhommage展 岩瀬晶子 西尾裕 宮下光子 越川道江 並木貴子 東広島芸術文化ホールくらら
3/4 3/9 霊山邦夫個展 中和ギャラリー
3/4 3/28 こんろん 醍醐イサム 辻忍 西牧喜文 柳田祐希 Tino(ティノ)
3/10 3/15 ヒカリ展 千駄木画廊
3/10 3/15 2025ミニミニ100選展 中野渡みね子 ギャラリー 暁
3/11 3/16 第16回春季朝霞市美術協会展 醍醐イサム 朝霞市中央公民館ギャラリー
3/17 3/22 寺床まり子展 K's Gallery
3/17 3/22 相良由紀展 K's Gallery
3/17 3/23 神田現代美術展2025 醍醐イサム 木ノ葉画廊
3/17 3/22 表現の原点 小倉信一 ゆう画廊 5/6F
3/25 3/30 四人の女性アーティストの ユニークなビジョン 岩瀬晶子 三宅三奈 ふくやま美術館
3/31 4/5 仮面藻展 阿部眞由美 ギャラリーGK
4/1 4/6 第76回中部自由美術 愛知県美術館ギャラリーE室
4/2 4/6 的場脩二展 熊野市文化交流センター
4/14 4/19 ART FILE展 後期 寺床まり子 鈴木香織 相良由紀 K's Gallery
4/14 4/19 Monochrome 古田由美子 ギャルリー志門
4/15 4/20 自由美術京都作家展 京都府立文化芸術会館 大陳列室
4/28 5/4 学園祭 展 Ⅴ 阿部眞由美 一ノ澤文夫 相良由紀 中野渡みね子 姫井美貴子 ミズテツオ 千駄木画廊
4/29 5/17 SHYOWA 阿部真由美 DOMOANES
5/6 5/11 MG5 霊山邦夫 中和ギャラリー
5/7 5/17 りっかのころ 平澤重信 あらかわ画廊
5/7 5/14 Kissa来 ねこ展2025 平澤重信 ギャラリー きっさこ
5/7 5/17 醍醐イサム個展 ギャラリーストークス
5/7 5/11 岩瀬晶子展 sankakuギャラリー
5/12 5/18 吉村俊展 千駄木画廊
5/12 5/30 伊藤朝彦墨絵展 日本画廊
5/15 5/22 梅野亮、ミズテツオ2人展 ミズテツオ ギャラリー絵夢
5/19 5/24 2025コレクションズM展 阿部真由美 醍醐イサム ギャラリーGK
5/19 5/24 山田かの子展 K's Gallery
5/19 5/24 新潟の美術家たち展ⅩⅠ 長谷部昇 山岸千冬 JAA gallery(美術家連盟画廊)
5/21 5/27 第14回東京自由美術展 東京都美術館
5/25 5/31 第39回「はんの会」孔版画展 姫井美貴子 東京交通会館 B1F
5/28 6/7 美濃部民子個展 ギャラリーストークス
6/4 6/14 初夏のAllumage展 醍醐イサム 小野精三 小林成行 相良由紀 鈴木香織 寺床まり子 K's Gallery Room C
6/6 6/14 優しい時間 相良由紀 姫井美貴子 阿部眞由美 ギャラリー オル・テール
6/9 6/14 西牧喜文展 K's Gallery
6/10 6/15 野口高史展 アートギャラリー絵の具箱
6/10 6/21 ミズテツオ追悼展 四季彩舎
6/12 6/18 コレクターの眼展 姫井美貴子 ギャラリー絵夢
6/23 6/29 “U展”千駄木 千駄木画廊
6/28 7/9 日仏国際交流展 寺床まり子 ミュゼ松井田
6/29 7/5 國定正彦 竹越仁恵二人展 ギャラリーストークス
7/2 7/7 吉田光正彫刻展 高崎高島屋 5階 アートギャラリー
7/4 7/9 第41回ぐんま版画展 多胡宏 中林三恵 吉田光正 高崎シティギャラリー 第一展示室・予備室
7/7 7/12 夏のAllumage展-Ⅰ 五十嵐久美子 K's Gallery Room C
7/7 7/12 第27回綺羅星★展 伊藤雄人 笠井順子 小暮芳宏 古橋眞智子 村秋木綿 依田元明 千駄木画廊
7/7 7/12 STARTS IN JULYT 醍醐イサム ギャラリー檜B
7/8 7/13 第62回自由美術関西展 京都府立文化芸術会館 1階・2階展示室
7/8 7/20 醍醐イサム個展 ギャラリー絵夢
7/10 7/13 2025・第60回自由美術・秋田展 秋田県立美術館 県民ギャラリー
7/14 7/26 現代美術東西交流展 阿部眞由美 ギャラリーGK
7/18 7/23 KOKORO JAPAN chatres_sur_cher 寺床まり子 フランス シャトル シェルシュール 市庁舎
7/21 7/26 第23回獏展 中野渡みね子 K's Gallery Room A/B
7/21 7/26 Gallery HINOKI Art Fair XXⅦ 中野渡みね子 山田かの子 相良由紀 ギャラリー檜B・C(e・F)
7/24 7/27 第23回自由美術富山グループ展 富山県民会館美術館
7/26 8/6 第60回自由美術群馬展 ノイエス朝日
7/26 8/3 Symphony 岡本叔子 岸川理子 中和ギャラリー
7/29 8/3 第67回東中国自由美術展 岡山県天神山文化プラザ 第1展示室(1F)
7/30 8/4 現代ガールズコレクション展 寺床まり子 うすい百貨店8階ギャラリー
7/30 8/4 正田明子個展 山ロ井筒屋5階美術ギャラリー
7/31 8/4 美術展 II 輪の会 谷部昇 渡辺雪子 鶴巻加代 山岸千冬 カルベアキシロ まちなかギャラリー
7/31 8/9 Concrete - 形への思い - ギャラリー絵夢
8/3 9/30 AWAKE ~目覚め~ 寺床まり子 コリドーギャラリー26
8/4 8/10 柳田祐希個展 あかね画廊
8/5 8/10 第51回自由美術香川 善通寺市美術館(展示室1・2)
8/6 8/11 平和を愛するあなたへ展 那須ゆいか すわっチャオ1~5会議室
8/15 9/1 平澤重信展 山口画廊
8/18 8/30 遊墨展 阿部眞由美 ギャラリーK
8/19 8/24 田中秀樹展 中和ギャラリー
8/23 8/31 菊池まり子展 UTSU工房ノブズギャラリー
8/25 8/30 汲美の会展 平澤重信 ギャラリーゴトウ
8/26 8/31 第57回 黄人展 広島県立美術館ギャラリー5室
9/6 9/21 山本清人個展 ~境界との調和~ 水の音
9/7 9/14 墨展 ー今日の表現ー 柳田祐希 好文画廊
9/11 9/14 2025山口自由美術展 防府市地域交流センター アスピラート
9/15   9/21 五十歩百歩④ 阿部眞由美 あかね画廊
9/16 9/26 Dal Vent 風によって 那須ゆいか えすぱす ミラボオ
9/21 9/26 絵画の森 ギャラリーストークス
9/28 10/3 版画の海 ギャラリーストークス

 

          

編集後記

個展会期中である。己の作品空間に身を置いて、編集後記の文章考えている。言葉・文字
に表現し難いことがある故、作品・画面に託しているというのに、文章を書くとは…編集担
当として諸作家の方々に文章を依頼しておきながら、複雑な想いである。
 今年は二人の作家の追悼文に加え、土方明司先生に自由美術への文章を寄せていただいた。
 在りし日の作家の生き様に想いを馳せ、先人達の時代のエネルギー、かつての時代の空気
が各文章から立ち現れているように感じた。
 諸先輩方の時代に身を置けなかったことに、一抹の寂しさを感じるが、彼らの作品には現
代でもお会いすることが出来る。作品は作家自身を今に伝えてくれる。
 では、己の作品は如何様にあるか。個展空間に在って己を省みて止まない。(2025.8.柳田)

編集研究部 柳田 祐希、五十嵐久美子 (立体部)川﨑 文雄 
協力委員 福田 篤、栗本 浩二 公文 淳子  醍醐イサム  平澤 重信 
広告担当 松﨑 九鬼